相反する自分の気持ち

 勉強なんてやりたくないという人に、「いろいろなことを分かるようになりたいと思わない?」と聞いてみました。
 初めは「面倒くさい。授業を聞いても分かんないし」と応えていたのですが、少し考えて「確かによく勉強している人をみると、あんなふうにいろんなことが分かったら面白いだろうなと思う」と社会や理科について興味深く話す友人のことを挙げました。そして「私も分かるようになりたいかも」と言うのでした。
 この人は、面倒だから分からなくてもいいという気持ちだけでなく、分かるようになりたいという気持ちも本当は持っています。でも分かりたいという気持ちの方はあきらめてきたのです。今、その埋もれさせてきた気持ちの方向に動いてみようと思ったのでしょう。
 この人とは反対に、頑張りたい気持ちだけに従い、やりたくない気持ちを無理に抑えている人もいます。人の気持ちは単純ではなく、相反する二つの気持ちを併せ持っていることが多いのです。
でも、自分の中に反対の気持ちもあることに気づかなかったり、気づいていても抑えてしまっていることがあります。そして、自分の気持ちの一面だけにとらわれて他の面を見ないと、自分が本当はどうしたいのかを見失ってしまいます。

 本人が矛盾した気持ちを併せ持っていることに、周りが気づかない場合もあります。不登校になったことを悩んでいた中学生に「無理して学校に行かなくてもいいんじゃないかな」と声をかけたことがありました。
 すると、「学校に行けとも、行かなくてもいいとも言ってほしくない。どうしたらいいか分からなくて、私が悩んでるんだから」と言うのです。
 「行きたくない」という気持ちを一面的に受けとめるのではなく、「行きたい」と「行きたくない」の二つの気持ちが絡まり合って困っていることを理解してほしかったのですね。悩んでいる人というのは、自分の中のさまざまな気持ちに気づいている人でもあるといえるでしょう。

 皆さんは、自分の中のいろいろな気持ちに気づいていますか。自分はこんな人間だと決めつけてしまわず、もっと他の面もあるかもしれないと考えて、自分を振り返ってみてください。自分の進むべき方向や可能性が新たに見えてくるかもしれません。

  <2012.2.19 中日新聞「親子でホームルーム」>

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