新しい出会い
何年か前、春先の風に吹かれたとき、なんだか懐かしいような匂(にお)いがした。すると、いっしょにいた娘が「新しい人達と出会う時の匂いだ!」と言うのだった。
学校は勉強するために行く所でもあるけれど、それ以上に、人と出会うために行く所だろう。そこに行けば、とりあえず、人が集まっている。そこで様々な人から刺激を受けることに意味があるのだ。勿論、人と出会える場は学校だけではない。サッカーチームでもバイト先でもよいし、まなび場もそのような場の一つだ。
僕自身が中学時代に人間関係から大きな刺激を受けたかと問われれば、それほどでもなかったというのが正直なところである。当時の僕は、学校生活というものに大した思い入れはなく、ただ、毎日が過ぎていくのを淡々と受入れるという風だったように思う。だから、4月のクラス替えに期待や不安を抱いたという記憶はない。
でも、初めて高校に行った日のことはよく覚えている。教室で僕の後ろに座った奴が、僕を見てニヘラニヘラと笑っていた。中高6年一貫校だったので、僕のように高校から入ってきた人間は物珍しかったのだろう。この日の学校帰り、河原町三条のマクドナルドで姉と待ち合わせた(僕も姉も電車で京都市内の高校に通っていた)。なぜか、この時に見渡した店内の光景が、手元のトレーに至るまで、はっきりと記憶に残っている。
僕たちは、刺激を受けることで、生き生きできる。どのような場に自分をおくかによって、受けることができる刺激が変ってくる。しかし、刺激というものは、一方的に外からやってくるだけではない。自分の心がどんな状態なのかによっても、刺激の受け方は変ってくるのだ。
同じ音楽を聴いても、何も感じない人、心地良さを感じる人、心を動かされる人と、受け止め方はそれぞれだ。これは日々の生活でも同じである。同じような生活をしていても、あまり感じるところなく過ぎていく人もいるし、深く感じたり考えたりする人もいる。その人の感じ方によって、人生の濃密さは全く異なるものとなる。
4月から、新しい学校生活が始まる人達がいる。学校には行かない人達もいる。いずれであっても、感じるところの多い日々にしていって欲しい。
<2014年3月「びば!まなびば 2014年春号」>