中学の先生について思い出すこと

 あれは僕が中二のときだったと思うが、社会の授業で教師が「憲法前文を丸暗記すること!」と宣言した。当時の僕は、大人のいうことに理屈っぽく反論していい気になっているような子どもだったから、すかさず、「条文を丸暗記することに何の意味があるんですか?」と質問した。彼は、部活指導で大声を出してガラガラになった声で、「お前のように”なんで?”って聞いてくれる生徒がいると、きちんと理由を説明できるから、ええと思う」と僕を持ち上げるような調子で言い、でも、暗記が必要な理由などは全く説明せず、さっさと授業を進めてしまった。結局、僕は真面目に憲法前文を丸暗記した。何年か後になって、政治や社会のことに関心を持ったときに、覚えたことはちゃんと役に立ったと思う。

 美術の授業で、七宝焼きのアクセサリーを作る課題があった。僕は、カラフルな蝶のデザインのブローチをつくったのだが、自分では出来栄えにすごく満足して、意気込んで美術教師のところに提出しにいった。すると、その教師は、「幸君は、美術が本当に苦手なんだねえ」と、僕をいたわるかのように言うのだった。この反応は僕には全く意外だったので、そのときの光景は鮮明に記憶に残っている。この後、水彩画の課題が出たとき、僕は校舎の絵を描いた。授業時間中に仕上がらなかったので、放課後、教室に残って続きを描いていると、空がどんより薄暗く曇ってきた。僕は、ああこの感じだ、と思って、重たく曇った空を背景に人気のない灰色の校舎が不気味にたっている絵を仕上げた。この絵は、僕の学校に対する気持ちが表現できたと感じたので、クラスの連中に自慢気に見せてまわったりもした。絵を提出するとき、美術教師は少し苦い表情を見せた。

 僕は当時から字が汚くて、母親からは「ミミズがはったような字」とけなされていた。担任が国語教師だったので、父母面談のときに母親が字のことを相談した。この先生は、いつも静かに微笑んでいるおばあちゃんという感じの人だったが、「そんなこと気にしなくていいですよ。ラブレターでも書くようになったら、誰から言われなくても、きれいに字を書くようになりますから」と言って笑っていたという。字は今でも汚いままであり、自分が書いたメモが読めずに困ることもあるほどだ。だが、彼女のようなゆったりとした教師がいたことで、学校の堅苦しい空気が少しは緩んで感じられた。

 今思い返そうとしても、授業の内容などは全く覚えていない。また、教師と深くかかわったわけでもない。でも、このようなちょっとしたかかわりは、今の僕のあり方にどこか影響を与えている気もするのである。

「びば!まなびば」2017年2月

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