エネルギーを蓄えることのできる場所

 よろしくお願いします、幸(ゆき)といいます。名古屋市昭和区でフリースクールまなび場というのをやっております。私がまなび場を始めてこれで6年半になるんですけども、その前に主に高校ですけども、中学高校の教員を17 年ほどやっておりましたので、どうしてもフリースクールという場所と学校というのは何が一緒で何がちがうのかを常に考えながらやっています。

 非常に単純化して言いますと、学校は何をするところかと考えると、第一に学ぶところ、第二に人との関係を築くところですよね。学校に行けば人がいる、同世代の子もたくさんいるし大人もいる、そこで人との付き合いを築く。第三にそういった学びや人の付き合いを通じて生きていくのに必要なエネルギーを培っていくところだと。では、フリースクールは何をするところかと言いますと、第一にエネルギーを蓄えるところ、第二に人との関係を築くところ、第三に学ぶところ、こういうふうに考えております。これは優先順位がちがうということですね。要するにエネルギーを蓄えることを最優先に、何を子どもがやっているかではなくて、いまやっていることを通じて子どもがエネルギーを貯めているのか、消耗していっているのか、たとえば勉強することでエネルギーが貯まっていっているのか勉強することでどんどん消耗していっているのか、人と付き合うことでエネルギーが貯まっていっているのか消耗していっているのか、やっている行為ではなくてエネルギーがどうかということに常に注目して、うちでは付き合っているんですね。なぜそういう発想でやっているかといいますと、私も初めからそう思ってやっていたわけではなくて、子どもたちと付き合うなかでこうやってやるしかないなというふうに変わってきたんですけども、短い時間ですしそのあたりは置いておきまして、具体的な子どもの例を、あまり個別のことはプライバシーに関わるので言えませんけども、少し話したいと思います。

 ある子は、学校で他の子がいやなことを言ってくる、それで学校に行きたくないと言うんですね。学校の先生はそれに対してどう言ったかといいますと、その子が「あの子がいやなことを言ってくる」と訴えたときに、先生は「そんな子はどこに行ってもいるよ。だからいまその子と付き合えなかったら、これから先、しんどい思いをするよ、社会に出てからもやっていけないよ」と。そんな子はどこにでもいるんだから、そこで揉まれることに意味があるんだという発想ですよね。そういうことを言われたと言うんです。それでその子は非常に怒っていたんですけども、揉まれたほうがいいというのはまったく正論で、人間は揉まれて成長していくんですよ。ただ、エネルギーが落ちている状態のときに揉まれると、つぶれちゃうんですよね。その揉まれて成長できるだけのエネルギーを蓄えてあげることがまず第一で、揉まれることによってどんどんエネルギーが低下して枯れていっちゃって、逆にどんどん人と付き合うのが困難になっていく子もいるわけなので、そのときに揉まれなきゃだめだというのは実態にあっていないと思うんですよ。なので、まずその子はエネルギーがどういう状態なのか、人に揉まれられる状態なのか見る必要があるということなんですよね。よく、私ももともと教員をしていましたのでそういうことを言わなかったわけではないんですけども、大人は子どもに、今これができないと社会に行って困るよとか、あとで大変なことになるよと言いがちなんですが、もちろんそうやって励まされてやっていく子もいますが、なかにはどれだけ言われてもできない子もいるわけですよ。どれだけ言われてもできない子は、「これができないと、社会に出てやっていけないよ」という後半のメッセージだけが蓄積されていくんですね。それで、私はできない人間である、ダメな人間である、と。ますますできなくなっていっちゃうということがありまして、なので、社会に出てやっていけるかどうかじゃなくて、いまその子が元気になっていけるかどうかを見なきゃいけないと思うんです。

 それから、何かをやらせれば自信がつくという発想がありますよね。たとえば勉強できない子に一生懸命やらせて、勉強ができるようになったら自信がつくとか、人間関係が苦手な子に何か集団生活をやらせてクリアできたら自信がつくとか、それも一緒なんですけど、何か一つのことをやるのに、人によって使うエネルギーがちがうと思うんですよね。ちょっとのエネルギーで勉強をクリアできる子もいますけど、人の何倍も何十倍もやって初めてクリアできる子もいますよね。そういう子にとってすごいエネルギーを使ってクリアしたことが、じゃあ自信になるかというと、自信になりません、これは。エネルギーを消耗しているだけで、自分はこれだけやってもこれだけかということで、残るのは消耗感で、自信にはならないと思うんですよ。僕はそういうことを見てきましたけども、その子はできないことにものすごいエネルギーと時間を集中して消耗させてやってきた、そのエネルギーと時間を、その子が得意なことや好きなことや関心をもっていることに注いでいたらもっともっと自信がついたはずなのに、苦手なことに集中してやっているということで、結局自信やエネルギーを奪っているということがよくあると思うんですよね。なので、そのできないということにあまり焦点をおかないようにしているんですね。

 それから友達関係のこと。これもある子が学校に行けるかどうかわからないという状況で相談に来て、まなび場に来たり学校に行ってみたりというときに、学校に行ったときの様子を学校の先生が休み時間に見られて、それから学校の先生がその子について相談にみえたときの話なんですけども。その子は学校に行き渋りながら行ったんですね。その休み時間に先生が廊下から様子をのぞいてみたら、クラスの子たちと非常に仲良く楽しそうに和気あいあいと談笑していたと言うんですね。「あの子は大丈夫です、学校に来てやっていけます」と言われたんですね。ところが僕がその子からあとで直接聞くと、「疲れた」と。要するに教室では友達と仲よさそうにしていないと場がもたないと言うんですね。だから本当に楽しくてニコニコ笑っておしゃべりしているのではなくて、無理して楽しい自分とか友達と仲良くできる自分を演じているだけなんですよ。そして疲れていって、この子は結局このあとうちにも来なかったんですけど学校にも行かなくなるんですけど。表面的な元気そうな状態とか、あまりそれにはとらわれないほうがいいと思うんですね。これは僕も失敗をいろいろやりまして、始めて2、3年のころに、いろんな、確かに人との関わりがあまり得意じゃない子がいるんですけども、ポツンといるよりも、仲よさそうにしゃべっていたり一緒にやっているほうが、こちらとしてはうれしいのは事実なんですよね。期待しているんですよね。仲よくなってくれないかなぁとか打ち解けてくれないかなぁとか。ついつい期待しちゃうんですけど、子どもは敏感なので、僕がそれを期待しているとわかると、無理して仲良くするんですよね。その3年前のあるときに、非常にいい雰囲気で、みんなですごく和気あいあいとしゃべっていて、いい雰囲気だなと思っていたら、翌日みんなが休んで。みんなというのはウソですけども、数人休みました。あとから聞いたら、疲れた、と。だからそれ以来私は、無理に仲よくしなくてよろしい、一緒にいるだけでよろしい、と。行事なんかもやるんですけど、出たくなければ別にいいと、みんなで一緒にやることは強制していません。そうなんですけど、そうすると、たとえばみんなでトランプやったりするときに、参加する? と聞いたら、いやそうな顔をしますよね。外に出かけるときもそうなんですけども、いつまでも参加しない子が参加しないかというと、そうじゃないんですよね。だんだんと入ってくるんですよ。時間をかけてね。その子のペースを守ってやれば、だんだんと。人間は人と関わりたいと思うんですよ。不器用であっても。なのでその子のペースを守ってやれば結構関わっていくというのは見ているので、あまり無理に集団のなかに入れなくてもいいんじゃないかなと思うんですね。

 もう時間あまりないんですけども、親子関係でも似たことがありまして、うちに来ていた、年が結構上の子なんですけども、親からいつも何を言われていたかというと、「あなたはそんなこともできないんだから、社会に出てもやっていけないよ」と、親から常にしかられていたという子がいるんですね。親からそんなことじゃやっていけないと言われてできるようになるかというと、ますます自分はダメだと落ち込んじゃって、結局何もできなくなって、となっていった人なんですけども、結局最終的にうちに来るようになって、できなくてもいいって本人わかっていくんですよね。ここに来ている人との付き合いもありましたし、他の場所での付き合いもあったんですけども、最後にその人が言っていたのが、「いまは自分は大人だから、人からいろいろ批判されても耐えられます。でも子どものときに言われたことはむちゃくちゃきつかった」と言っていたんですね。だから、その子どもに対して批判しないというのは甘やかすことかのように言う人がいるんですけども、批判に耐えられる子は批判すればいいんですけど、その子の状態を見てやらないと、結局その本人を落ちこませるだけなんですね。不安をあおるのはダメで、僕らでもたとえば締め切り間近で何か仕事をするとか、学生だったらテスト間近で追い込まれて勉強するってことがありますよね。不安とか緊張に追い込まれて動くことがあるんだけど、そこでなぜ動けるかというと、ベースに自信があるからだと思うんですよ。自分はできるという自信があるところにたとえば期限が迫ってきたとかテストがあるからやっていかなきゃ、と。ベースに自信がない子は、不安をあおるとまったくやりません。ああダメだと落ち込んじゃって。緊張感・不安と安心感のバランスが大切で、圧倒的に安心感をもっていないと。バランスが不安のほうに傾いてることが多いんですよね。ですので圧倒的に安心感を与えてあげる、エネルギーを与えてあげるということしかないなと思っているんですね。

 時間が来たので終わりますけども、本当にその子どもはエネルギーを蓄えているかどうかを見る。学校でエネルギーを蓄える子もいます。そういう子は行けばいいんですよ。でも学校に行くことでエネルギーがどんどん枯渇していっちゃう子もいるので、そのときの状況によっては。その子の状態を見て対応すべきだし、フリースクールもひとつの選択肢として考えてほしいなということで話を終わります。

  <2008年10月 「不登校・学びネットワーク東海」パネルディスカッション>

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