ゲームと「まなび場」
あるとき、携帯ゲーム機が突然はやりだした。
「まなび場」では、それまでゲーム機はちょっと場違いのような雰囲気があった。
「(家庭用)ゲーム機をおこうよ」という声があった時には、私は「ゲームは家でやればいいんじゃないの、わざわざここでやらなくても。ここじゃないとできないことがあるでしょ、話をするとか、みんなでいっしょに何かをやるとか、何か学ぶとか」などと応えていた。「まなび場」には時間割はなく、勉強している子、おしゃべりしている子、トランプ等で遊んでいる子、絵を描いている子などがいっしょに過ごしている。各自が別々のことをやっていても、それぞれが「同じ場で過ごしている」ということをどこかで意識し、まわりにも適度に気を配っているという雰囲気が、私は好きだ。刺激的な映像や音で巧みにその世界に人を引き込むように作られている電子ゲームは、そのような雰囲気にそぐわないと私は思っていた。子ども達が夏休み中のイベントとしてゲーム大会を企画したことはある。しかし、日常的には、ゲームは部屋の片隅で一人でやっている子も時にはいる、という程度だったのだ。
ここに、「ゲームやりませんか」とみんなに積極的に声をかける子が現れた。すぐに、6〜7名がゲーム機での通信対戦を始めた(この時期のまなび場メンバーは約20名)。ゲームをやっている子達が楽しく盛り上がっているというのが、日常の光景となったのである。表情が目に見えて明るくなった子がいたり、あまりしゃべることがなかった子同士が話をするようになったり、という変化もあらわれる。ああ、この子達はゲームを仲立ちに友人関係を作っていくわけなんだ、と私も気づかされた。
一方、「最近の雰囲気は嫌だ」と言い出す子もあらわれる。
「対話の時間」に、こんなやりとりがあった。
「みんながゲームをずっとやっている。なんとかして欲しい」
「ゲームは、やっている子とやっていない子の間に壁ができると思う」
幸「それは、ゲーム機に限らず、例えばカードゲームでも将棋でも同じでは」
「そうだけど、ゲームをやっている人には話しかけにくいんだよね」
「ゲーム機を持っていない人は入っていけない」
「ゲームは集中しちゃうと、まわりとしゃべれない」
「そう。前の自分みたいで…。」
幸「ゲームをやることで他の子としゃべるようになったり元気になった子もいるよね」
「今の人達は、みんな、まずゲームから入る。そこから、どうしていくかですね」
ゲームには人間関係を作るという面もあるし、話しにくい雰囲気を作るという面もある。元気が出る人もいるし、気が散って他のことに集中しにくい人もいる。ゲームをやる際の最低限のマナーとして「音は出さない」ということをみんなで確認した。
この後、しばらくゲームのブームは続いたが、ゲームについて何度か話し合ったことが抑制として働いたこと、ちょうど年度末の時期だったのでメンバーの何名かが入れ替わったこともあり、ゲームは下火になっていった。ゲームに反対していた子は、「みんながゲームをやっていないので、なんだか気がぬけた」と言って苦笑していた。
最近の「まなび場」では、音を出さずに静かにゲームを操作している子がいる。ゲームに集中しているように見えるが、他の子やスタッフがしゃべっていることはきちんと耳に入っていて、関心ある話題になると、ゲームの手をとめて会話に参加してきたりする。ゲームを持っていることで、真正面から人と向き合ってしまわず、安心して人とかかわることができるのかもしれない。ゲームについては、ここに書いたこと以外にもいろいろと話し合ってきたし、今後も話し合う機会があるだろう。ゲームは、子どもの人間関係を考える上で、避けては通れないものである。