欠点が気になる

 「あの人のあそこがキライ」「自分自身のここがイヤ」と思うことは誰でもあるでしょう。欠点ばかりが目につき、その人の良いところが感じられないときもあります。本当は相手や自分のことをもっと好きになれたらいいのにと、感じている人もいるかもしれませんね。そういうときには、欠点に見えることが、もしかしてその人が持っている良さとどこかでつながっていないか、と考えてはどうでしょうか。

 いい加減な人は周囲をイライラさせることもあるけれど、人に対しておおらかなので、一緒にいるとほっとするという人もいます。逆に、神経質な人は周りの居心地を悪くさせることもありますが、秩序が乱れないように警告してくれる人ともいえます。人の気持ちに鈍感な人は相手をいやな気持ちにさせることもあるし、みんなが言いたくても言えないことをずばっと言ってくれる場合もあるでしょう。わがままな人は周りに流されない自分を持っている人ともいえます。

 欠点と良さがつながっていたりするから、人間は複雑です。でも欠点として見ているときには、メダルの裏側の良いところが見えないのですね。そして、良いところが見えていないと、その人の欠点は、周りにとっても本人にとってもますますやっかいなものになっていくのです。ある子の問題行動がみんなから批判されても改善されなかったとき、「あの子は今のままでいいってみんなが思わんと変わらんわ」とつぶやいた子がいました。こうつぶやいた子も、かつては同じような問題行動をしていた人です。人が変わっていくためには、周りから批判されたり、自分で反省することも大切です。と同時に、人が変わるのにはエネルギーが必要です。自分が人から受け入れられているという感覚を持てないと、自分を変えていくエネルギーがわいてこないでしょう。 

 短所に見えることが、どのような長所となり得るのかを考えてみませんか。なかなかそのようには考えられないことだってあります。でも、そのように考えられたとき、人に対しても自分自身に対しても、ちょっぴりおおらかな気持ちになれるかもしれません。

<中日新聞2010年8月22日付「親子でホームルーム」>

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