子どもたちの人間関係と不登校

 学校を休みがちなAさんのことを心配して、先生が放課(休み時間)の教室をそっと覗いてみました。Aさんが友達の輪の中で楽しそうにおしゃべりをしていたため、先生は安心したそうです。しかし、本人に聞くと、「放課の時間が疲れる。友達と楽しそうに振る舞っていないと場がもたないから」と言うのでした。

 不登校のきっかけとして多くの子どもがあげるのが友人関係です(下表)。以下は、子ども達の人間関係について、私がフリースクール「まなび場」で子ども達とかかわる中で気づかされたことです。

学校を休みはじめたきっかけ
1.友人との関係52.9%
2.先生との関係26.2%
3.勉強が分からない31.2%
4.クラブや部活動の友人・先輩との関係22.8%
5.学校のきまりなどの問題10.0%
6.入学、転校、進級して学校や学級になじめなかった17.0%
7.家族の生活環境の急激な変化9.7%
8.親との関係14.2%
9.家族の不和10.0%
10.病気14.7%
11.生活リズムの乱れ34.2%
12.インターネットやメール、ゲームなどの影響15.3%
13.その他16.0%
14.とくに思いあたることはない5.5%
文部科学省「不登校に関する実態調査〜平成18年度
不登校生徒に関する追跡調査報告書〜」   (不登
校生徒に関する追跡調査研究会 平成26年7月)より

学校での人間関係

 学校での人間関係がしんどくなっていく背景を考えてみましょう。

(1)「まわりにあわせる」関係

 子ども達の人間関係では、「空気を読む」「まわりにあわせる」ということが常に要求されます。このような風潮は、大人社会の反映でもありますが、同一年齢の子ども達が一斉に同じことに取り組むという学校生活独特のあり方も影響しているのではないでしょうか。まわりにあわせることが苦手な人やマイペースな人は、学校では孤立しがちです。一方で、過度にまわりにあわせようとして疲れきってしまう人もおり、彼らは「学校での自分はの自分ではない」「学校に行くと、自分が自分でなくなってしまう」などと言います。悩み事などで気持ちにゆとりがない状態の人にとっても、「まわりにあわせる」という関係は苦痛に感じられます。

(2) 関係が狭くなっていく悪循環

 人間関係が器用でなく、他の人から理解されにくい態度を取ってしまう人もいます(「発達障害」といわれる人達の中にも,このような人がいます)。はじめは理解できない相手も、付き合ってみると少しずつ了解できるようになっていくこともあります。しかし、自分と異質な人間と付き合わない→理解できない→付き合わない…‥という悪循環の中で、子ども達の人間関係は狭くなっていきます。仲良しグループの中だけで閉じた関係をつくろうとする子どもも少なくありません。異質と思われて、集団からはじき出されてしまう人もいます。
 子ども集団の中で、異質な人間とぶつかり合う体験が十分でないこともあって、トラブルがあったときに双方の感じ方を受け止めて仲介できるような人も多くは育っていません。仲裁者がいないため、ちょっとしたトラブルがきっかけで人間関係が切れてしまいます。教師も(特に中学校以上では)、子ども達が自由に過ごしている時には傍におらず、子ども達の関係の仲立ちをすることは難しいといえます。

(3)イジメの影響

 前述の(1)(2)のような問題はイジメが生まれる背景ともなっています。
 「小学校のとき、クラスでイジメのターゲットがどんどん変っていった。教室に入る時に、きょう、私は大丈夫か、と緊張した。今でも、教室に入る時に緊張する」という人がいるように、身近でイジメがあったというだけの体験が、その人の人間関係に長期にわたって影響を与えることもあります。

安心感ある人間関係を築く

 子ども達が安心感を持って人とかかわれる場をつくるには、どうすればよいのでしょうか。

(1)個性の凸凹をいいと思う

 Bさんは、相手の気持ちにはかまわず自分が感じたことを態度に出すので、人との間によく軋轢を生みます。「まなび場」でも、Bさんの言動に腹をたてる人達から批判されて、逆切れしたり、ぷいっと帰ってしまったりしていました。Bさんのことをみんなで繰り返し話し合っていく中で、Bさんとよく衝突していた人が「あの子は、今のままでいいってみんなが思わんと変わらんわ」「Bさんは、かつての俺と同じ」とつぶやいて、皆をはっとさせるということもありました。一方、「まなび場」で、人とかかわろうとせず、ほとんど笑顔を見せない人がいました。他の子達は話しかけにくく感じていたのですが、相手におかまい無しのBさんがどんどん話しかけていくと、その人は笑顔で話すようになっていきました。このように、まわりから肯定的に受け止められていく中で、Bさんは少しずつ自分の言動をコントロールできるようになっていきました。まわりの人達も、Bさんのような人がいることが場を居心地良くしていることに気づきはじめたのでした。

 みんなにあわせるという空気が強い場では、個性の凸凹が人間関係の障害になります。しかし、違いを許容する雰囲気があれば、一人ひとりの凸凹が場の面白さや居心地の良さを生み出すこともできます。多様なあり方を受け入れられる場であるためには、率直に気持ちを伝えあう体験を積み重ねることが大切です。
 人間関係には相性もあるし、そもそも人付き合いが好きでない人もいます。無理に仲良くなろうと考える必要はなく、それぞれのペースで人とかかわることができればよいのです。「まなび場」では、人間関係をつくるきっかけとして遊びや行事を大切にしていますが、参加したくない人の気持ちも尊重するように心がけています。
 多様性に価値がおかれ、みんなと同じでなくても良いという環境の中でこそ、安心できる人間関係が築けるはずです。

(2)大人の役割

 大人は、子どもを大人の思い通りにさせようとするか、きちんとかかわらずに放任してしまうか、この両極端にぶれやすいのではないでしょうか。この二つの態度は、一見正反対のようにも見えますが、大人と子どもの相互的な関係が築けていない点は同じです。私達大人には、子どものことをよく見て、子どもといっしょに考える態度が求められます。このような大人とのかかわりを通じて、子どもは人と協力しながら自分自身で考えていくことを学んでいきます。私達大人も子どもも、無理に人に合わせるのではなく、独りよがりになるのでもなく、互いの違いをすり合わせていく態度を育てていきたいものです。
大人が子ども達の集団と適度な距離を保つことも大切です。「まなび場」スタッフは、なるべく子ども達自身でトラブルを解決するように見守りつつ、子ども達だけでは調整困難と思われる場合に仲立ちするように心がけています。話し合いの場を設けたり、思ったことを率直に言うように子ども達を励ましたり、うまく表現できない気持ちを「翻訳」したりすることも私達大人に求められる役割です。

教育の場は多様な人間に開かれているか

 義務教育の学校は、すべての子どもが行ける場でなくてはならないはずです。そして、子ども達の中には、人間関係の苦手な人、心が不安定な状態の人、家族関係に困難を抱えている人、等々がいます。そのような人達は特別な存在ではありません。程度の差はあっても、子どもはみな何らかの困難を抱えているともいえます。個人が抱えている困難にばかり注目するのでなく、困難を抱えている人が行きづらくなる学校という場の問題についても考えるべきです。不登校は個人の問題や責任とされがちであり、そのような視点が本人や家族をますます苦しめているのですが、教育の場が多様な人間に開かれているのか、教育にかかわる私達が問われていると思うのです。

  <「なごや子ども貧困白書」所収 2016年>

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