「作業」の目的
意識した取り組み大切

 ゲームに熱中している若者に「そんなに面白い?」と聞いたら、「ただの作業ですよ」という返事が返ってきました。頭は使わず機械的に手先を動かしている、そのような意味でしょう。それが気晴らしにもなるようです。
 私たちは、作業的なことに多くの時間を費やして生活しています。似たような計算問題をたくさん解く、あるいは、部活の練習メニューをこなすといったことも作業的です。作業は避けて通れないものですが、そこには落とし穴もあります。

 例えば、漢字を十回書いて覚えられなければ、二十回書くという人がいます。様子をよく見ると、上の空で機械的に写しているのです。作業量だけを追求して、中身が伴っていないわけです。本当は、少ない回数で集中しようとする方が、注意深くなって効果的です。
 理科のように理屈を考えるべき勉強でも、ノートに書き写すだけで「やった」という満足感を得てしまう人もいます。きれいに写すことが目的になってしまい、考えることがおろそかになっているかもしれません。
 考えることは、作業のように機械的にはできません。作業なら頑張れるけど、考えるのは面倒だという人もいます。ちょっと考えてみたけれど、同じところをぐるぐる回ってしまい、先に進めなくて考えるのを諦めたという体験は誰でもあります。こんなときは、人と話し合っみてください。考えを先に進めるヒントが得られることが多いはずです。

 皆さんは、形だけ何かをやって安心していることはありませんか。それは、自分自身の意志で取り組んでいないときではないでしょうか。人から言われるから、あるいは、みんながやっているから、というだけの理由で取組んでいると、形式的になりやすいのです。
 もちろん頭を空にして無心に作業することで得られるものもあります。そこに楽しさを見出すこともできるでしょう。一方、機械的に手先を動かすだけでなく、自分の頭をしっかり働かせることが大切なときもあります。作業の目的をきちんと意識することで取り組み方も変ります。

  <2015.9.27 中日新聞「親子でホームルーム」>

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